子宮に39(サンキュー)、子宮筋腫(仮)との決別

39歳独身 サボってた婦人科検診に4年ぶりに行ったら 子宮筋腫核出手術をすることになりました。

入院2日目_Part1 手術当日の朝

f:id:fujiiro-kozakura:20200112210312p:plain

 

2018年7月27日(金)

 

 いよいよ、手術当日の朝

 

 夜中の 0:20、2:00、4:30 に目が覚めた。

 

 4:30にトイレ、歯磨き、洗顔をした後、ラウンジにごみを出しに行った。

 

 コンビニへ水を買いに行こうと思ったら、エレベーターホールが閉じられていて、行けなかった。

 何のための、24h営業のローソンなんだろう?

 仕方なく、病室に戻り、昨日買った1本の水をちびちび飲んだ。

 

 6時過ぎに看護師さん登場。

 

 一応、トイレで出たことを告げたのだが、満足のいく量ではなかったらしく、浣腸を受けることとなった。

 

 横向きに寝ながら、下着を下ろされ、管を入れられる。

 異物感による、若干の痛みを感じた。入れられた液体がお尻の中で熱くなった。

 

 どんどん羞恥心がなくなっていく気がする。

 赤の他人に下着を下ろされて、見られて、そんなところに管を入れられるとは……本来なら絶対、無理なのに。

 

 浣腸を受ける前に、看護師さんから、入れられた瞬間から便意を伴うが、10分間耐えるように言われた。(薬を浸透させる必要があるためらしい)

 

 皆、がんばって5分くらいが限界だとか、座ると出したくなるから、トイレの中に入って、立って我慢するだとか、気分が悪くなるから呼び出しボタンで呼ぶようにだとか、言われた。

 

 看護師さんが定期的に心配して、様子を見に来てくれた。

 確かに、トイレを我慢しているときの感じはしたものの、耐えきれない! という感じはなく、楽々13分をクリアしたところで、トイレに行ってみた。

 

 おへその掃除の時同様に、看護師さんにビックリされる。

 こんなに我慢できた人、初めてだとか…。

 

 その後も下剤の時のような、お腹の痛みがあり、もう一度トイレに行ってみた。

 

 どこまで出せるものなのか、よくわからなかったが、最後は水しか出ない状態だったので、きっと、これで良いのだろう。

 

 そうこうする内に、お尻がジンジンしてきた。

 

 薬を浸透させるとは、こういうことなのだろうか?

 

 その後、手術着を渡され、弾性ストッキング、T字帯を身につける。

 T字帯……まんま、おむつ。履き方もよくわからなくて、悪戦苦闘。

 

 手術前にトイレに行っておいた方が良いと言われ、T字帯をどうやって外せば良いのか聞いたら、パンツのようにそのまま下に下ろせるとのこと。

 

8時半くらいだったか、父親登場。

「眠れたかね?」と聞かれたが、「まあね」と答えておいた。

 

 予告通り、8時50分。お迎えが着た。

 術後戻ったときに快適に過ごせるように、ベットの周りにマンガを配置していたのだが、片付けるように言われた。

 

 手術に邪魔にならないように、おさげにしていたのだが、それも却下された。

 ゴムが当たるとダメとのこと。

 

 なので、髪をほどいて、不織布のキャップをかぶる。

 案内されるまま、歩いて、病室を後にする。

 

 出かける前に、看護師さんから、

 覚えていないと思うけど、(麻酔のため)手術後すぐにレントゲンを受けるとのこと。

お腹の中に器具が残っていないか調べるために行うと、説明された。

 あと、生理用ナプキン夜用を手渡した。

 

 

 手術室へは、ドラマのように、ストレッチャーで手術室まで行く……わけではなかった。

 まあ、病人っていうか、ぜんぜん元気ですもんね。歩けますからね、歩きますよ。

 

 手術室の前で、待合室…というのか、家族が待つエリアで父と別れる。

 

 さらに歩を進め、手術室へ。

 

 ここで、いよいよTHE手術という出で立ちの人たちに囲まれ、びびる。

 

 病棟の看護師さんとは明らかに格好の違う、看護師さんに囲まれ、急ぎ足で自己紹介を済ませられ、手術着の先生にあいさつされる。

 

 ”大丈夫ですか?” と聞かれたが、何がどう大丈夫なのか判らなかったが、とりあえず、”大丈夫”と答えた。

 

 正直な話、ここに来て、本気で怖くなった。

 あっ、やっぱ怖いから止めます! とは、さすがに言えなかった。

 みんなそのために準備しているわけですからね。

 

  そして、これまたいかにもな手術室で、

 手術台の上に自ら乗る。

 自らまな板の上に乗る、鯉の心境だった。

 

 洗い流しやすいようになっているのか、板場の様なフラットな作り。

 頭上にはいかにもな、ドクターもののドラマで見る、あのライトが煌々と輝いていた……気がする。

 

 台の上に寝ると、上からタオルが被せられ、両サイドから手術着から素早く腕を抜かれる。

 

 連携の取れた、一切無駄のない迅速な動きだった。

 右手の甲にぶすりと、点滴の針が刺された。

 ずぶっ! と刺された後、念のためなの? さらに、ずぶぶっ! と追い刺し。

 

 痛みで、身を起こした。

 ここまでの闘病生活で一番痛かった。

 

 マスクを被せられ、3回ほど息を吸った。

 1~2回目で、上のライトがブレたように見えた。

 3回目、息を吸った次の瞬間。

 

 「終わりましたよ」と言われる。

 えっ!? 何が? と思ったが、そうか、手術終わったのかと悟る。

 瞬きした瞬間のできごと。

 

 少々の吐き気と一瞬の頭痛、筋腫を取ったであろう右腹の痛みがあった。

 なるほど、レントゲン撮ったのか記憶にない。こういう事か。

 

 吐き気はすぐに治まったものの、右腹の痛みは生理痛のMAX時に匹敵するものだった。

 

 今度こそ、ストレッチャーでばーっと運ばれる。

 途中の段差で、顔をしかめる。

 

 あっという間に病室に戻り、またしても息の合った連係プレイで、手際よく

ストレッチャーのシートごとベットへ移動された。

 

 なるほど、そのためにベットに無駄な物を置いておいてはいけなかったのか。

 

 我ながらすばらしく冷静だった。

 ベットに戻るとすぐに父に携帯電話を出してもらい、時間を確認した。

 

 11:40だった。 8:50から約3時間。先生が言ったとおり3時間の手術だった。

3時間で終わったって事は、腹腔鏡下だったんだろうか?

 

 父に聞くと予定通り、退院は3日後の月曜日とのこと。

 ホッした。

 そして、冷蔵庫の延長ボタンを押してもらった。手術前に押すつもりが

忘れていたが、この瞬間思い出した自分を褒めたい。

 

 テレビカードで冷蔵庫が使用できるのだが、一定時間が来ると止まってしまい、さらにテレビカードで延長させる仕組みだった。

 

 昔の旅館のテレビみたいだな、平成のお嬢様たちには判るまい。

 かつて、旅館のテレビは有料で、小銭をじゃらじゃら入れて観る物だったのだ。

 

 もうすぐお昼だというのに、ベット脇の椅子にどかっと座り本を読み出す父に焦った。

 携帯も手元にあるし、冷蔵庫も延長ボタンを押してもらったし、もう、用はない。

 

 もうすぐ昼だから、返ってイイよと言って、退散してもらった。

 

 ブログでは、術後、特別な部屋で安静にして落ち着いてから元の病室に戻ると書かれていた気がするが、この病院は、普通に元の病室に戻された。

 

 なので、”うんうん”うなっている中、同じ病室の人のお昼が香ってくる。

 

 精神衛生上よろしくない。